アイヌの美学

アイヌの英雄であったシャクシャインの子孫が住む新ひだか町の、アイヌの方々の想いを綴ってみました。

かっぱらいの論理

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あるアイヌ民族に関する医学研究があります。
それは特定地区に於けるアイヌ民族のsexual infectious disease抗体価の有意な上昇を示す疫学データを含みます。
それをあろうことか公表しました。
’知る権利と知られる不利益’に対する問いです。社会はそれによって如何程の利益を得たのか、また
当然の事ですが加療等は実施されたのでしょうか。
そこから別の研究者はアイヌ民族の動物的生態論を吐露するなど、無責任でいい加減な解釈の連鎖も起こりました。
被験者、つまりアイヌにとっては生体解剖に等しい意味を持つ本疾患を示唆する数値を活字化するということ、その根底にはいったい何が潜んでいるのでしょう。
それを出版界、メディアまでがこぞって助長しましたがこの問いに対する解を研究者個人のモラルにのみ帰結しては決してな
りません。
それがお年頃の若い娘さんを持つアイヌのご家庭に如何程の心的ダメージを与えたのでしょう。
結局、それは無批判に受容したシャモ/和人の無思考な心にたどり着きます。
 
昔だから許されたという意見があります。
もしもその論が百歩譲って許されるなら、どのような理由で、一体誰が許したのでしょう。
また今では社会が成熟したのでこの様なことはないと識者は申します。
ところが現代社会である種の意図を持った冷たい視線は今まで以上に潜在化し、アイヌ民族アイデンティティ、尊厳を否定
するが如き世相も醸成され、成熟した社会とは表面上ただ演出されているに過ぎないのではないでしょうか。
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また視点を変えれば自然科学は他者の尊厳を傷つけることも許されるのか、という学問が本質的に抱える哲学的問いに対し、アカデミアの住民は一つの解釈を提起したともいえますし、医学会が積極的、或は間接的に関与したtorture vs intelligenceに対する問いでもあり、この図式は21世紀に於けるアングロサクソンvsイスラムと同根ともいえます。
更には史書にわずかに残る、15世紀の蠣崎武田信広/松前藩始祖がアイヌに対して謀略、搾取、虐殺の限りを尽した時代
から21世紀の今に至る歴史の中でシャモ/和人の深層に宿る醜悪な思考の連鎖を証明するものでしょう。
 
札幌農学校卒の新渡戸稲造が「武士道」を著する資格があるのか否かは別として、昨今、武士道とやらの日本人の心をくすぐる一語を耳にします。
義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義など、つまるところ高潔な心に基づく普遍的な美徳として武士道を解釈した場合、松前藩のお侍さんにそれを見出す事はできるでしょうか。
歴史のミステリーの中にあった蝦夷松前藩史が少しずつ解き明かされ、ノンフィクション化された史実をアイヌの目線で再考すれば、松前藩とはそれこそ武士道の風上にも置けない、畜生にも劣る、卑怯者の姑息な愚集団に過ぎなかったことが分かります。
 
蠣崎波響/広年が画したとされる十二人のアイヌ虚像である『夷酋列像』の成り立ち、天覧に至る嘘と美醜を併せ持つ画風、経緯などその最たる例でしょう。
 体制転覆を免れた松前藩主が次に企んだことは中央幕府、公家らにアイヌを支配、治める松前藩の権威を示すことでした。
よって松前藩プロパガンダとして実態とは全く異なった華美で豪壮、勇猛な風貌を持つフィクション化された異民族としてのアイヌ画が必要だったのでしょう。
そのためアイヌ/夷酋の長老にオロシア、中国由来の派手な着物を着用させた珍妙な『夷酋列像』画が描かれました。
異民族を掌握、支配する藩の強い権威を演出するためにです。
 
このように政略的意図を持つ『夷酋列像』画の裏側にはアイヌに対する沢山の虚、嘘、虐殺、詭弁があり、現代人はそれを無視して本画に美的、好奇な視線のみ注ぐのでは往時の光格天皇をはじめとする公家らの幼稚な視線と同類です。
 
歴史にその功罪を問う愚かさを知りつつも、ある期間において蝦夷の主役をなした松前藩アイヌに対する原理的思考が21世紀になお遺残し、それが北海道でノブレス・オブリージュ/noblesse obligeの精神が育たない大きな要因の一つとなっているのではないでしょうか。
 
北海道人はアイヌから盗ったものは自分のものと決め込んでおります。
しかしロシアに取られた北方領土は国を動かしてまで返せと強く主張します。
両者の’盗った、取られた’に共通するのはただ一つ’不条理’ということでしょう。
 
このブログの読者は’盗った’と’取られた’を不条理という秤にかけた事がありますか?
共に傲慢な力学が両者の’かっぱらいの論理’に潜みます。
 
本疾患を愚ブログで取り上げる矛盾を抱きつつ、くれぐれも誤解なきよう、文意をお汲み下さい。